ファイティングポーズは、もういらない
中野 亮平 トーマス 先生(北海道大学 大学院理学研究院 教授)

北海道大学 大学院理学研究院 教授
中野 亮平 トーマス 先生
【研究内容】
植物微生物相互作用
【研究概要】
土壌に棲む多様な微生物と植物がどんな相互作用をしているのか、微生物の視点から自然環境での植物の生き様を知るための分子生物学に取り組んでいます。
アファーマティブ・アクション、あるいはポジティブ・アクション、略してAA。積極的な推進派や、強固な反対派、色々な意見が飛び交うセンシティブな話題です。みなさんは、どう感じているでしょうか。センシティブな話題だからこそ会話を避けてしまうみたいなこと、ありませんか?反対意見を言ったら怒られてしまうみたいな空気、ありませんか?
AAについて、日本では主に女性限定公募や大学入試の女子枠などジェンダーの文脈で取り上げられることが多いですが、本来ジェンダーに限定しません。社会的マイノリティや経済格差など、様々なモノサシで存在する「不合理な偏り」を是正して機会均等を目指すために実施される優遇措置を総称する言葉です。出身や家庭環境で特化した奨学金制度や、低所得世帯向けの特別入試や留学生枠などもその範疇に含まれます。あらゆる属性を持ったひとたちがその属性に束縛されずに幸せになれる社会を目指す、そのための「テコ入れ」のようなものがAAと呼ばれる作業です。つまりアカデミアの女性に関わるAAとは、女性だけではなく、あらゆるセックス・ジェンダー・性自認の構成員がみんな隅々まで本来自分が発揮できる実力を発揮して、掴めるはずだった幸せをちゃんと掴むことができる社会、そんなゴールを目指すためのひとつのツールだと言えます。
さて、AAというのは定義上、制度の直接的な受益対象ではない人々を生み出しますので、女性限定公募について意見が割れること自体は例外ではなく、むしろ制度に内在する構造的な帰結でもあります。しかし、それに関する会話が避けられがちな現状に、私は大きな危惧を感じています。批判的な意見をもつ方々の理解を得ないままに制度だけが進んでいけば、それは社会の分断を煽るだけですし、その矛先は制度ではなく「AAで採用された個人」に向かいやすい現実があります。女性を守っているつもりがむしろ心理的な危険に晒してしまうかもしれないのです。同時に、批判的な意見に耳を傾けることは実際に起こっている制度と現実の歪みやギャップの把握に有効です。このような現場の歪みを確認しながら微調整して進めていく姿勢こそが、AAという制度を繊細に運用していくために必要不可欠なのだと思います。
だからこそ、女性限定公募を議論するときには、しっかりと広く物事を考えないといけないと思うのです。たとえば女性限定公募を無条件に全肯定する、すなわちそこに負の側面が一切存在しないかのように主張することは無用な軋轢を生むでしょうし、女性限定公募がいかなる条件でも常に正当化される、としてしまうことも大きな誤りでしょう。女性比率をあげるために必要なのだと主張するならば、ではどこまであがったら十分なのかを明示する必要があるでしょう。「どこまでやるのか」が明確に示されないままに10~15年ほど続いている現状は、男性研究者からすれば、ただでさえ見えにくい未来を余計にぼやけさせてしまうものです。実際、令和3年版男女共同参画白書によれば平成19年には7,500人程度だった女性教授は、令和元年には12,000人まで増えました(男性教授は60,000人から58,000人にやや減少)。平成元年にはわずか9%だった女性大学教員比率は令和元年には26%まで上昇しました。もうそろそろいいじゃないか、という声が出てくるのも仕方のないことなのかもしれません。しかし、学部では半数近くが女性なのに対して、大学院では女性は3分の1、大学教員全体では4分の1、教授では6分の1、と徐々に減っている現状があります(令和7年度学校基本統計)。大学の意思決定機関等の女性率はわずか15%(2024年度・第21回追跡調査)と、未だに圧倒的に女性が不足(underrepresent)しています。このような勾配(たとえば大学院進学率は男性16.8%に対して女性7.6%)、すなわち女性ほどアカデミックキャリアに残りづらいという現実はなぜ存在しているのか、なにが理由で女性が少しずつ減っていくのかしっかり考えることなしに、女性限定公募の是非について議論することはできないのではないでしょうか。
また、女性比率をあげるための方策として「女性限定公募さえすればよい」という考え方も間違っています。そもそも着任した女性にとっても「数合わせで雇用だけされて,フタを開けてみれば働きづらくてしょうがない」では意味がありませんし、批判的な方々に対しても「様々な手法を駆使しているなかの,あくまでそのひとつが女性限定公募なのだ」としっかりアピールすることは重要です。大学だけでなく、中等教育の時点で草の根活動を行いアカデミア志望の女性学生を増やす必要があります。また、そうして増やした学生や若手教員に「この世界に残りたい」と思ってもらえるような環境を用意しないといけません。働きながら育児や介護をしやすい環境をつくることも重要です。なお、育児や介護がこの文脈で触れられることは、本来まったくもっておかしいナンセンスでしかないのですが、現実問題として男性より女性の方が育児や介護によって働き方が限定されがちな社会状況を鑑みれば、実効的には女性教員を増やすことに大きく貢献するものであろうとも考えられます(めぐりめぐってあらゆる教員にとって良い環境づくりになるので悪いことはひとつもない)。また、博士号取得後のキャリアパスを多様化し、大学院進学率そのものを底上げすることも重要です。そもそも、ジェンダーに関わらず昨今のアカデミアが抱える構造的な問題(雇い止め問題や大学交付金の減額,外部研究費の過剰な競争など)を無視して女性だけ増やしたとて、根本的な問題の解決にはなりません。
このように女性限定公募については、本当に色々な意見、色々な側面があります。だからこそ、その負の側面から目を背けてしまうこと、またその批判の声を外から封じ込めてしまうことは、巡り巡って女性の立場のみならずあらゆるセックス・ジェンダーの立場を危うくすることにつながってしまいかねません。逆に、心の中に鎮座する批判の声を自ら押し殺してしまうことは、AAの「多面性」を時間と共に霞ませてしまい、その一面的な運用を無言で肯定してしまいます。それは、社会全体としての幸福の最大化というAAの本来の目的から大きく外れるものです。女性限定公募をアンタッチャブルにせず、批判的に語ることをタブーにせず、広い目線での議論も絡めて考えていくことが重要なのではないでしょうか。
このコラムが、意見を異にする立場同士の会話の道標になれば幸いです。
