バークレー校における
研究とライフイベントの両立に関する現状

カリフォルニア大学人類学科教授・日本研究センター長 羽生 淳子

私の専門は縄文時代の考古学と歴史生態学です。慶応義塾大学史学科の学部と修士課程で考古学を専攻し、1985年から東京大学理学部の遺跡調査室で三年半にわたって助手を務めたのちに、1988年にカナダのマッギル大学の博士課程に留学しました。

1980年代当時、日本の大学で考古学の女性教員は数えるほどしか存在せず、カナダやアメリカの友人たちは、「日本が変わるのを待っていたら、あなたはおばあさんになってしまうから、研究者を目ざすのだったら海外で勉強したほうがいい」、と背中を押してくれました。北米が、私の研究の理論的基盤である生態人類学と狩猟採集民研究の最先端であったことも、留学を決断する大きな要因でした。博士号を取得した1996年からカリフォルニア大学バークレー校人類学科で教え始めて、現在に至っています。

当時、バークレー校の人類学科で教えていた考古学のフルタイムの教員8名のうち、私を含めた6名は女性でした。その後も女性教員が過半数を占める状況は続き、現在は、9名のうち6名が女性です。1990年代以降、バークレー校の考古学プログラムは北米ジェンダー考古学の拠点として知られていて、特に女性教員たちは、男女の平等と性的少数者の権利について、積極的に発言してきました。

私より年上か同年配の女性教員は、家庭では家事の大半をこなし、研究と家事・育児の両立に苦労した世代です。女性教員は、オールド・ボーイ・ネットワークに対抗して、学閥を超えた女性研究者ネットワークを作り、密に連絡を取り合いながら、お互いをサポートし励ましあっていました。

それから約20年、大学内での共働きの教員・職員に対する、近年のサポートの増加と配慮の細やかさには、目を見張るものがあります。大学内での会議は、保育園の送り迎えに配慮して午前10時~午後4時までに行う場合がほとんどですし、以前はよく行っていた週末の集中会議などもなくなりました。フルタイムの事務職員の多くは、フレックスタイム制を活用していて、たとえば、毎日朝7時から午後3時まで働く、あるいは曜日によって勤務時間に長短をつけるなど、多彩な勤務形態があります。

2000年代初め頃までの性差別に関する議論は、女性と性的少数者に対する不平等を是正して自分たちの権利を確立する、という色彩が強いものでした。そして、その運動の主体は白人女性でした。しかし、近年におけるバークレーでの議論では、仕事と家庭の両立を目指す教員・職員・学生へのサポートが、多様性の受け入れと機会均等(Diversity and Equity)を実現する一環と捉えられています。その根底にあるのは、Black Lives Matterの運動に象徴される、アフリカン・アメリカンやネイティブ・アメリカンを含むマイノリティに対する差別撤廃への強い意志と覚悟です。そして、女性も広義のマイノリティに含まれます。

バークレー校を含むアメリカやカナダの大学の仕組みを見ていると、個々の教職員の家庭の事情に柔軟に対応できる点は、高く評価できると感じます。そこに至るまでには、半世紀以上にわたって、たくさんの人々が努力してきました。その努力は、試行錯誤を繰り返しながら今も続いています。

日本における男女機会均等の議論でも、目前にある出生率減少問題などの解決を目ざすだけではなく、多様性を認める社会、という広い視点が必要です。そしてそれは、非白人社会の一員としての日本人が世界の中でどのような役割を果し得るか、を考える際にも重要になってくると思います。