ワークライフバランスについて思うことなど

松下泰志 (スウェーデン・ヨンショーピング大学 准教授)

「ワークライフバランスについてエッセーを」との依頼を受けたので、これを機会に少しワークライフバランスについて考えてみた。

所感を述べる前に、筆者が何者であるかを最初に簡単に述べておきたいと思う。筆者は2003年に日本で博士号を取得後、同年、スウェーデンのストックホルムにある王立工科大学にポスドクとして赴任、2008年に同大学で准教授、その後2012年に同じくスウェーデンにあるヨンショーピング大学に異動し、現在に至る。材料工学(主に鉄鋼や鋳造など)の研究を行っている。家族はストックホルムで知り合った妻(日本人)と十代の子供3人+ 猫二匹+犬一匹である。

閑話休題。正直なところ、これまでワークライフバランスということはあまり考えたことがなかった。好きなだけ働いて、好きなだけ家族と過ごしたという感じがある。その結果が自分にとって一番良いバランスということになるのだと思っている。もちろんそれが50:50のバランスになっているとは限らない。10:90でバランスが取れる人もいるだろうし、逆に90:10の人もいるだろう。このちょうど良いバランスは人や環境によるだろう。

「研究と子育ての両立はどうしているの?」、「どんな工夫をしているの?」と聞かれても、そもそも両立しているかどうかも怪しいし、特に何か工夫をしているわけでもない。ただそう言ってしまうと身も蓋もないので、子供たちが小さいころどのようにしていたかを少しお話したいと思う。仕事と育児両方しなければならいときはどうしていたか?両方ともするまでである。工夫など何もない。筆者はどうも難しいことを考えることができないようである。


担当授業の準備をしながら子供と過ごす筆者(2008年頃)

少しふざけているように思われたかもしれないが、実際のところそうするしかないように思う。よくオン・オフを切り替えて、休む時はしっかり休み、働くときはしっかり働くということが言われているが、現代のように一人の仕事の量が増えたような状況では、しっかりオフをとろうものなら、オンになったときにたまった仕事を処理するのはほぼ不可能である。家に仕事を持ち込むのはよくないとされていたが、きっちり境界線を設けるのはもはや効率的ではないように思われる。ノウハウ本的な言い方をすれば、「すきま時間の利用」がカギになってくるように思う。そう考えているのは筆者だけではないと信じている。筆者は以前、野原でコーヒー飲みながら、子供と遊びながら、仕事のメールや電話をしているスウェーデン人男性の姿を見かけたことがある。無理なく、ごく自然に仕事とプライベートを融合させている姿が非常に印象に残った。

ただ、そのすきま時間をどの程度「ワーク」に使うのか、「ライフ」に使うのか、というのは別問題である。研究職というのは少し特殊な仕事で、そのことがこのバランスに影響してくるように思う。「特殊な仕事」といっても、何もエライだとか何か特別難しいことをやっているとか言っているわけではない。研究というのは困った商売で、お金のためだけに働いているわけではないところがある。これが他とは違う「特殊」なところである。普通の商売(仕事)であれば、できるだけ少なく働いて、できるだけお金をもらいたいわけであるが、研究はそうではない。お金をもらえなくてもやりたい。身銭を切ってでもやりたいのである。芸術家などの活動と似ているかもしれない(「自分はそうじゃない、あなたと一緒にしないでくれ」と不快に思った研究者の方がいらっしゃいましたら謝ります。ゴメンナサイ。「ああこの人は古いタイプの人間なんだ」と憐憫の目で見ていただければと思います)。そのため、「ワーク」のほうにウエイトを置く傾向にあるのだ。このあたりの塩梅をどうするかが大事だと思うが、結局はスウェーデン語でいうところのLagom (ラーゴム、「多すぎず、少なすぎず、ちょうどよい程度」というような意味)ということになるのかもしれない。


「『すきま時間の利用』がカギになってくる」などと偉そうなことを言っておきながら
子供たちと夏休みを思いっきり楽しむ筆者(旅行先のヘルシンキにて)

スウェーデンといえば仕事と生活の時間のバランスがよくとれた国、育児がしやすい国だとよく言われている。スウェーデン以外で育児をしたことがないので比較はできないが、スウェーデンでの育児に関する制度の話をすると、午後だけ育児休暇をとるなどフレキシブルに育児休暇を取ることが可能である。筆者も子供が小さい頃は週の半分育児休暇を取っていた。土日を入れて4日休みを取り、3日働くというスタイルである。また、職場の雰囲気も全般的に育児がしやすいといえる。例えば、子供が病気なので早退しなければならないというようなときは、上司が率先して早く帰ってあげなさいという。そんなときに上司が少しでも嫌な顔をすればその上司は間違いなく即クビである。このような環境は確かに育児がしやすいといえるかもしれない。

ワークライフバランスの問題は何も最近になって起こったことではないように思う。既に100年以上前、かの文豪、夏目漱石も悩まされていたのではないかと思われる。漱石の「永日小品」という作品の中に「火鉢」と題した文章がある。ごくごく短い文章だが、自身のある一日を描写したものだ。その中には泣き叫ぶ子供、病気になる女中、炭代の支払いのことなどに煩わされ、仕事が手につかない様子が描写されている。そんな慌ただしい一日が終わり、やっと心の平穏が訪れる。仕事はできなかったが、まぁそんなもんだろう、と思う漱石の火鉢を眺める眼には煩雑な日常に対する優しい眼差しが感じられる。そして漱石はワークライフバランスに思いを馳せていた・・・かどうかは知らない。

今回このエッセーを書くにあたり、先入観にとらわれずに書くために、あえて他の人のワークライフバランスに関する意見は読まなかった。専門家がどのように考えているか知らないし、ここに書いたことと似たようなことが既にどこかで書かれているかもしれない。そして、別にスウェーデンと同じ育児制度を導入しろと言っているわけでもなく、筆者と同じように仕事とプライベートをごっちゃにすることを強要しているわけでもない。浅学を顧みず、思うところをつらつらと書いたのは、これが皆さんがワークライフバランスについて考えるヒントになればと思ったまでである。皆さんのますますのご活躍を願って筆を擱く。