見えてきた「ワークライフバランス」の真意

濵田-川口 典子(カロリンスカ研究所 海外特別研究員 / ストックホルム大学 MBW 研究員)

 「ワークライフバランス」という言葉が耳目を集めるようになり久しいですが、恥ずかしながら私は日本でその意味を熟考したことがありませんでした。無意識のうちに、考えることを避けていたのかもしれません。強いて言えば、「仕事と私生活の時間的なバランス」のことかしら、などと漠然と捉えていたように思います。そしてなぜか、女性特有の課題のように感じていたものです。

 日本で研究の傍ら育児をしていた私は、海外特別研究員としての採用を機に息子と二人でスウェーデンに渡りました。当時第二子妊娠中ということもあり、主人のもとを離れて単身海外で研究・出産・二児の育児を行うことは、私にとって非常に大きな挑戦でした。自ずと「ワークライフバランス」に関心が向くようになった私にとって、スウェーデンは新鮮な気づきの場となりました。ここに暮らす人々が私に教えてくれた「ワークライフバランス」の真意は、仕事と私生活の「時間や量的なバランス」ではなく「質や価値のバランス」であり、本来男女の区別なく働く全ての人に投げかけられている課題かと考え始めました。私がスウェーデンでの研究生活を通して得た個人的な気づきの一例を、今日はほんの少しお話しさせていただきたいと思います。

■ スウェーデンの日常風景

 スウェーデンでは、日本では想像すら難しい日常風景に日々遭遇します。朝の駅や午後の公園、スーパーマーケットで、子供の手を引いたり或いはベビーカーを押しているお父さん達が、あちらにもこちらにも!子供の急な早退で研究室から学校に駆けつけるお父さんを見かけることも、非常にありふれた日常の一場面です。そして男女問わず遅くとも夕方5時には仕事を終え、家族や友人と過ごすために帰路に就いてしまうのです。なんということでしょう!スウェーデンで生活を始めたばかりの頃、この光景に雷で打たれたような衝撃を受けました。皆さんお仕事はどうしているのかしら?と要らぬ心配までする始末でした。実際には、とてもアクティブにお仕事やご研究をなさっている方々ばかりだと後に知ることになります。

■ 根幹にある発想の違い

 日本では上記のような日常風景には、きっとお母さんが多く登場するだろうという暗黙の了解があるように感じます。「男性は仕事・女性は家庭」という昔ながらの性別役割分担意識は多からずとも未だ存在し、「男性が主要な仕事をし、女性はそのサポートをする」という慣習が今もなお日本の根底に見え隠れしているように思います。一方スウェーデンでは、家事も育児もパートナーと平等にシェアすることが大前提で、ジェンダーをもとに何かが決まるという光景を見たことがありません。公平を目指すこの流れは子どもの教育現場でも徹底されており、性別による役割分担や思考を導く行為は法律で禁止されているそうです。子供たちと会話をしていると、そもそも男子・女子という区別に執着がないことに気が付きます。また、先生やご父兄でLGBTQ+であることをオープンにされている方々も多く、お父さんとお父さん、或いはお母さんとお母さんというご家庭を子供たちは至極自然に受け止めています。男性・女性である前に個としてお互いを尊重し合うことを目指したスウェーデンの長年の取り組みの賜物のように感じました。一見無関係に見える「ワークライフバランス」と「ジェンダー問題」は、実は密接不可分な関係にあるのではないでしょうか。スウェーデンでは自ずと「ワークライフバランス」が女性だけの課題ではなく、働く全ての人に向けられたテーマになるようです。

■ 日本とスウェーデンの勤務時間の違い

 冒頭の日常風景の中で注目すべきもう一つのポイントは、日本とスウェーデンの勤務時間の違いです。スウェーデンでは男女ともに約8割が育児休暇を取得することは日本でもしばしば話題になりますが、実は制度上の違いに秘密があります。子供一人につき取得可能な育児休暇は、両親二人分を合計して480日間に上りますが、驚くことに1時間単位で申請可能な上に、子供が8歳になるまでキープすることができるのです。つまり育児休暇を日々の時短勤務に使用することも可能であり、仕事か育児かという二者択一に迫られる必要がなくなります。

 またこの合計480日間のうち、配偶者に譲渡できない休暇が各々60日間あることも興味深い点で、これらは取得しなければ単純に消滅してしまうため、一配偶者に休暇が偏り過ぎることも制度が防いでいます。

 このような制度は多様な働き方を可能にし、男性も女性もキャリアに長期間の空白を残すことなく持続的に仕事と育児を両立できることがわかりました。

■「ワークライフバランス」により得られるもの

 これまでの私は、労働時間の減少が仕事の効率低下に直結すると信じていました。この点に関して、私の共同研究者であるストックホルム大学のYlva Engström 教授と膝を交えてお話ししたことがあります。

 Ylvaは同大自然科学部の副学部長やSciLifeLab理事会議長を歴任するなど輝かしい経歴を持つ女性教授です。このように聞くと、近寄り難い超人的スーパーウーマンを連想する方もいらっしゃるでしょう。しかし多忙を極めるYlvaもまた「ワークライフバランス」を重要視する一人でした。Ylvaが仕事と同様に妻として母として家族と共にする時間、或いは友人と過ごす時間、そして趣味の時間を意識的に生活に組み込んでいる姿は、私の目には非常に新鮮に映りました。そしてその理由を尋ねると、仕事と私生活の相乗効果だとYlvaは明かしてくれました。

 各国から集まる研究者仲間の間でも、この相乗効果については頻繁に話題に上ります。「ワークライフバランス」は、単に私生活の充実のためだけでなく、効率よく仕事を進めるためにも真剣に取り組んでいる方が多いことは大きな発見でした。一方、日本の長時間労働は世界的にも広く知られており、この点は残念ながら高い評価を得ていないようでした。日本はとても魅力的な国だが、現在の日本のような長時間労働を強いられるのならばそこで働くことは望まない、とおっしゃる海外の研究者の方は実際に多く、多様な働き方を受け入れることは国際的に魅力のある研究の場にとって重要な要素なのかもしれません。

■これからの日本とロールモデル

 スウェーデンも以前は家事や育児は専ら女性の役割であったことをYlvaは教えてくれました。しかし、第二次世界大戦後に労働力不足を補う国策として、女性の社会進出を意識的に行ったことが現在のスウェーデンの背景にあるそうです。

 日本でも女性が活躍できる社会の実現に向けて、ロールモデルの存在が重要視されていますが、話題になるのは女性のロールモデルばかりであることに改めて気がつきました。「働く“女性”のロールモデル」ではなく、性別に特化しない「働く“人”すべてのロールモデル」を提示する、というのはいかがでしょうか。

 「ワークライフバランス」に関して学ぶことの多いスウェーデンでの研究生活ですが、同時に担当者の急な不在や返信の遅延から日本のようにスムーズに研究が進まない場面が発生することもまた事実です。一人一人が「ワークライフバランス」を考えることは、日本がどこへ向かい何を幸せとするのかを示すことであり、世代を超えて辛抱強く求め続けたい課題だという思いに至りました。

■結びとして

 海外特別研究員として派遣していただけたこと、感謝の念に堪えません。このレポートが、今後研究を志す若い方々の一助となれば本望です。また二児の母として悪戦苦闘する私の海外研究生活を温かく見守ってくださる方々に、この場をお借りして心よりお礼申し上げます。