研究とライフイベントの両立に関する研究者へのインタビュー
(RPD経験者の声)
東京薬科大学准教授 伊東 史子
【PROFILE】
- スウェーデン王国ウプサラ大学Faculty of Medicine Ph.D コース修了。
- 2004年、日本学術振興会特別研究員-PD、
- 2007年、日本学術振興会特別研究員-RPD。筑波大学大学院人間総合科学研究科助教を経て、
- 2011年4月から、東京薬科大学生命科学部心血管医科学研究室准教授を務める。科研費(基盤研究(C))等により、がん細胞の特性等についての研究を行っている。
あきらめなければ道は開ける
東京薬科大学生命科学部で准教授を務める伊東史子先生は博士前期(修士)課程終了後、スウェーデン、オランダへと留学。がんとの関係で注目を集める分泌性タンパク、TGF- βファミリーを研究対象に選んだ。帰国後、特別研究員-PD、RPDに採用され、筑波大学で研究生活を続行。「RPD制度がなければ、研究生活が成り立たなかった」と感謝する。
研究者を目指したきっかけと海外経験
――研究者を目指されたきっかけは
大学は薬学部で学びました。最初から研究者になろうと思っていたわけではありません。4年生のとき、卒業研究に取り組んでいるうちに、研究のおもしろさに目覚めました。「どうしてだろう」と考えて、仮説を立て、実験し、自分が予想した結果が出たときは本当にうれしかった。「もっと研究したい」と大学院に進み、修士課程修了後、スウェーデンのウプサラ大学ルードヴィッヒがん研究所の博士課程に留学。このときにはタンパク質の一種であるTGF-βファミリーに強い興味を持っており、その分野では世界トップクラスのカール・ヘンリック・ヘルディン先生(現ノーベル財団理事長、ウプサラ大学教授)のもとで研究に取り組みました。
途中、直接師事していたピーター・テン・ダイク先生(現ライデン大学教授)がオランダのがん研究所に帰ることになったので、彼についてオランダへ移りました。スウェーデンでもオランダでも博士課程の学生には給与が支給されるので、助かりました。
研究が大好きで、出産前日まで研究を続けた
最終試験のため渡欧する日、日本学術振興会のPD採用通知をいただきました。続いてRPDに採用され、筑波大学で研究を続けることができました。幼い長男に加え、長女も出産したので、RPD制度がなければ研究生活が成り立たなかった。このときのサポートは、どんなに感謝しても感謝しすぎることはありません。その後、公募に応じて東京薬科大学に採用され、現在は生命科学部心血管医科学研究室准教授を務めています。
私は実験動物学等の教科を担当していて、研究に用いるマウスをとても大切に思っています。長女を帝王切開で産みましたが、手術前日の夕方まで動物室に入っていました。出産したら、しばらく会えなくなるマウスたちが心配で心配で(笑)。
今後も大好きな研究を続けていきたい
――研究がお好きなんですね。
そうですね。学部4年生のころから、研究が大好きでした。現在も、たいていの土日に研究室に来ています。子どもは土曜日も学校があるので、お弁当を作って送り出してから、研究室にやってきてマウスの世話をしたり、翌週の準備をしたり。準備をしておけば、翌週の実験をスムーズに進めることができます。週末は子どもたちの帰宅にあわせて帰りますが、平日は子どもたちの就寝時刻に間に合わないときもあります。そんなときは子どもたちの寝顔を見て心を落ち着けています。
指導教授であったテン・ダイク先生は人間性もすばらしく、サイエンスに対して誠実な方で、「サイエンスは金曜日には止まらない」という言葉が心に残っています。今でも困ったときは相談に乗っていただいています。私も現状に満足しているわけにはいかない。研究者として志を高く持ち、どん欲に成長していきたいと考えています。
栄養のバランスは1日単位じゃなくて1週間単位で考えればいい
――ご家族構成は
夫(大学教授)と長男(高1)、長女(小4)の4人家族です。
――教職・研究職と主婦の両立は、たいへんだと思います。
朝は戦場です。4人の1日分の食事を作らなければいけません。朝食と昼食用のお弁当、夕食を用意、夕食は帰宅してレンジで温めれば、すぐに食べられるようにしています。基本的に時間がないので、時短料理、手抜き料理が大得意になりました(笑)。
オランダの研究室にいたとき、同僚にいわれたことがあります。「1日3回、温かい食事でなくてもよい。1日1回で充分。栄養のバランスは食事単位じゃなくて1週間単位で考えればいいのよ」と。その方も小さい子どもたちを抱えてバリバリ働いていました。今日とれなかった栄養は明日とればいいと考えると、献立がぐっと楽になりました。若い女性研究者は自分を追い込まないでほしい。献立は1週間単位で考えればいいんです。
最後に
――最後に、若い研究者へのメッセージをお願いします。
やはりテン・ダイク先生からいわれた「あきらめなければ絶対に道は開ける」という言葉を贈りたいと思います。
(※本記事は「特別研究員-RPD制度」10年史(平成30年7月独立行政法人日本学術振興会発行)の記事を再構成したものです)